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工学院大学附属中学校・高等学校<公式ブログ>

ハイブリッドインターナショナルコース通信【1月31日版】

「なぜ哲学を学ぶのか」がテーマになります。本日の報告とともに綴っていきたいと思います。

新宿校舎での授業、順調に進んでいます。3学期に入ってからの哲学授業と本日のコミュニケーション英語(岡部先生)の授業を中心に、なぜ哲学的思考を養成しているのか、苫野一徳氏(新進気鋭の教育哲学者:参考にフェイスブック投稿データを掲載しています)の知見に依拠しながら進めていきましょう。

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ジェームズ先生の哲学授業は「何を根拠にあなたは物事を信じるのか」からスタートしています。その後「科学的根拠が全てなのか」(科学は万能か考えながら)、さらに宗教(信仰)について「神は存在するのか」へと3学期発展しています。ベーコン、パスカルデカルトを経て、カント、ヘーゲル、そして、キルケゴールニーチェへ…、哲学者が通ってきた道を辿っています。第4次産業革命、AI社会、シンギュラルティ、データ至上主義…、テクノロジーの未来を予測する言葉が氾濫する中、依然として、「自由の相互承認」というヘーゲルがルソーの一般意志の理念を発展してたどり着いた原理は民主主義社会を支える土台の原理であり、強力です。思想や哲学は、存在するものに意味を与えているとも言えます。「事実から当為(〜すべき)は直接導けない」(他の学問同様)という哲学的思考のセオリー、そして、本質への解答(共通了解を導く最善解)を見出す哲学的アプローチは、テクノロジーが急速に発展する今、思考停止、盲信に陥らないように生きるために必須の教養と言えます。授業はサルトルレヴィ=ストロースとの論争を視座に実存主義構造主義、主体性とは何か、理性とは何か、を問う内容になっていくのでしょうか、今後の展開を見守りましょう。

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岡部先生のコミュニケーション英語は消費税(課税)に関する妥当性について、生徒の率直な見解をプレゼンテーションさせています。その後、自分自身がどのような政治哲学的な立場で意見を表明したのか、自己分析のために岡部先生作成の調査フォームにデータを各々入力しました(東洋経済新聞の雑誌記事をアレンジして岡部先生が作った教材)。結果は今後になりますが生徒はリベラル、リバタリアンコミュニタリアン、コンサバ…、どの立場を支持しているかが可視化されます。大変興味深いですネ。自己認識、自己の価値観への気付きにつながり、さらに高度な議論の際に自己の立場を明かにして話ができるようになるでしょう。アメリカ政治哲学(社会正義)の論争は「確かめ不可能」な信念のぶつけ合い(2項対立)に陥っていますが、妥協ではなく、建設的共通了解を見出していくためにも自己の価値観や立ち位置をメタで捉えていくことは今後の発展的学習に必要になってくると思います。岡部先生の意図はそこにあります。多様な思想哲学を受容してきた風土を有する日本社会、建設的な共通了解を見いだす“第3の道(アイディア)”を生徒たちは将来切り開いてくれる、と個人的に考えています。どの様な社会を望むのかを考えていく時、哲学的思考はとても有効と言えるでしょう。

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 科学が事実を証明するのに対して、哲学は物事の本質を探究し、答えを導き出す営みになります。繰り返しになりますが「事実から当為(〜すべきである)を直接導けない」というのが哲学の姿勢です。事実やデータから仮説や可能性は指摘できても、だから〜すべきである、という意味(価値)づけは別次元、哲学の役割は後者にあります。絶対的真理は存在しない、というのが哲学界の現状であるとは言え、できる限り共通了解が得られる本質を見出していくコミュニケーションや対話の際に哲学的思考は「最強」の力となります。「問い方のマジック」(解なき問い、信念のぶつけ合いで終始するエンドレスな問い)を見抜き、「問い直し」を通して、建設的な議論へ導くことにも貢献できるようになるのではないでしょうか。

おや?!道徳的ジレンマは日常に存在しますネ(笑)さっそく、本日放課後の自己決断において、道徳的ジレンマに陥った生徒がいます。図らずも学校(八王子校舎)全体と同じ4時間授業(ジェームズ先生体調不良で休講)になったものの、代ゼミはいつもと同じ時間(6時限後)…明日から始まる入試期間中の5連休を前に、これから予備校に行くべきか、行かざるべきか(この講習設置の事実や背景は伝えてあります)、悩む生徒がいます。結果的にはほとんどの生徒が空き時間を有意義に過ごし予備校に向かう判断をしました。「予備校に行ってきます」とオウタ君やリンさんはニコニコしながら自己宣言、新宿の教室を後にしています。どうすべきか生徒同士で話し合い選択決断する生徒たち、学校というコミュニティ、プラグマティズムの代表的な哲学者デューイの経験主義に基づく学びですネ。「自由の相互承認の社会を実質化するための力能」を身につけるため状況に応じて系統主義的教育、経験主義的教育とも学んでいます。自分の軸を持って物事を選択判断できるように生徒たちはなっています。そこが素晴らしいです!苫野氏の言葉を借りれば、多様性の中で学ぶ彼らは「自由の相互承認の感度」が、環境の中で鍛えられている、と「確信・信憑」を抱きます。もちろん数々の経験や課題を彼ら自身が乗り越えてきた賜物なのですが。

哲学的思考を背景に物事を意識化できるか、教育をデザインできるか、生徒のみならず、むしろ教育者が今求められているのではないでしょうか。

生徒の皆さん、2月6日木曜日、元気に再会しましょう!7日金曜日は模試です。3年0学期、生きたいように生きるため、そして、どこでもやっていける力(他者、社会で承認される自由)を身につける(手に入れる)ために学びを継続していきましょう!

 参考文献

苫野一徳著『どのような教育が「よい」教育か』『愛』『はじめての哲学的思考』『「学校」をつくり直す』『教育の力』『勉強するのは何のため?』他。

同著者の『どのような教育が「よい」教育か』に感銘を受け、手当たり次第Amazonで購入(AIに誘導されながら)、読み漁りました(笑)。難解であったフッサール現象学が理想主義のヘーゲルら哲学者たちの原理とアレンジされ、「共通了解」まで果敢に踏み込んで述べられています…感嘆とともに哲学的思考養成の意義を再認識する書籍となりました。『はじめての哲学的思考』『勉強するのは何のため』をガイドに他の著書を読み進めていくと読みやすいのかな、と個人的には思います。

長々と綴ってしまいました…ここまでお読み頂き有り難う御座いました。